説明 |
左行秀は、豊永久兵衛と云い、伊藤又兵衛盛重の嫡子として文化十年、筑前国上座郡朝倉の星丸村に生まれました。
自らを筑前左文字三十九代目を以て任じており、作刀にはそれを刻銘したものが存在します。
天保初年に出府し、細川正義門人である清水久義に鍛刀の技を学び、弘化三年・行秀三十四歳の時に、土佐・山内家のお抱え刀工であった関田勝廣の推挙により土佐に下り、安政二年十月土佐藩工となり、当地で活躍しました。
万延元年の終りから文久二年の初め頃、再び江戸に上り、深川砂村の土佐藩邸に居所を構えて作刀し、慶應三年五月の夏に土佐に帰りました。
その間土佐とを往復していた際に坂本龍馬の実兄・坂本直方などの依頼により作刀していた事でも有名で、この後より「東虎」と銘しています。彼の作刀は明治三年で終り、晩年は明治二十年七十五歳で没するまで、嫡子幾馬と横浜で暮らしています。
加えて新々刀最上作として名高い左行秀は、「土佐正宗」の異名をとり、土佐藩十五代藩主の山内容堂からも「今様正宗」と絶賛されるなど、同時代的な評価が極めて高かったことでも知られている、新々刀屈指の名工です。
|